会社の上司に『ロスジェネの逆襲』を借り、
同じ取引先に出入りしているメーカーさんから『御鑓拝借』を借りた。
最近、私は自分の考え方や観点に飽きてきいるので、
人に薦められた本を読むようにしています。
自分では絶対選ばない本を人は薦めてくれます。
自分の興味や好み、感性なんて所詮知れているから、
他人の興味を知り、視野を広げるためにも、
ここ二年ぐらいずっと人のお薦め本を読んでいます。
そんな中、この二冊にはちょっと考えさせられました。
まさしく自分のアンテナには絶対にひっかからない二冊。
半沢直樹なんて…
時代小説なんて…
っていうのが私本来の感性です。
この二冊、同時進行していたのですが、
読んでみてすぐに感じたのは、「同じ話じゃないか」ということです。
かたや現代日本の、あまりに現代的な硬直した社会・組織の中で、
小さな矛盾にも反発し、スジを通そうと孤軍奮闘する半沢。
その姿を見て「働く」とはどういうことか、
その意味を問い直し、触発され、
半沢と同じように戦おうとするロスジェネ世代の部下。
かたや江戸時代の封建社会の、
凝り固まった上下関係・武家社会の中で、
逆にその堅苦しい体裁と面子を利用し、
スジを通そうと意地を貫く赤目小藤次。
判官贔屓とはよくいったもので、一見梲の上がらない老浪人が、
天下の大名を敵にまわし、一発喰らわせる痛快もの。
私は読んでいて、江戸時代と今の時代、
何にも変わらないじゃないか、と痛感した。
何一つ変わらない。
組織は江戸時代の時ですでに、組織であるがゆえに、
硬直し、つまらぬ決まり事に支配されていたし、
阿諛、追従が処世術であった。
組織であるがゆえに、まるで社会貢献の一環のように、
つかえない上の人間を山ほど雇い、
そいつらを激務に追われる下の人間が食わせている。
いつの時代も、
人間が多く集まればどこかが腐る。
一カ所腐ればそれは伝染する。
組織というものには根本的な欠陥がある。
半沢直樹も赤目小藤次も、私は好きではない。
私はこの二人の生き方に個人的には賛同できない、
と最近はよく思います。
なぜなら、二人とも犠牲を出しすぎる。
あまりに敵を作りすぎるからです。
いくら相手が間違っていても、
私は叩き潰し過ぎるのはよくないと思う。
敵が腐ってしまったのには理由があるわけで、
半沢は相手を出世街道から叩き落とし、
人生の奈落に落としてしまう。
赤目は相手を来島水軍流で切って殺す。
私はそこまでする必要があるのか?
と思うのです。
敵は憎いし、明らかに間違っていても、
家ではいいお父さんだったりするわけです。
誰かが誤った道を歩んでしまうのは、
必ずしも本人だけの責任ではないと私は思う。
人を傷つけるのは悪い人間というよりも、
弱い人間です。
それなりの理由があってそういう人間になっているのだから、
敵は本能寺にあり、じゃないけど、
徹底的に討つべきものは目の前の悪事ではない、
と私は思っている。
半沢で流行った「倍返しだ!」という台詞は、
実は、よく私も日々の仕事で耳にしています。
なぜかというに、激化する商社同士の戦いで、
様々なメーカーと手を組んで、
裏切ったり裏切られたり、
オセロのようにひっくり返したり、
ひっくり返されたり、根回し根回しの連続で、
とにかくストレスで、磨り減っていますが、
私自身は倍返ししないように気をつけています。
負ける時は潔く負けようと。
勝つときも勝ちすぎないようにと。
あまり遺恨を残さないために。
最近、仕事、労働、生業、人生とは何か、
ということについて、二六時中考えている為、
考えさせられることが実に多い二冊の本でした。