吉行淳之介『原色の街・驟雨』。サラリーマンと風俗

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赤線地帯を舞台に50年代初頭に描かれた作品群。いまから60年以上も前の話とはいえ、現代にも通ずるレシ。

たぶん、ごく普通のありふれたサラリーマンが、風俗に通う話をしっかり書いたのは吉行淳之介が初めてではないでしょうか。

赤線地帯と書くと時代を感じてしまうが、いまでも合法的に新宿、渋谷、池袋だけでなくあちこちに、風俗店は溢れている。要はそこに通って、一人の女性と馴染みになり、自分だけはその女性にとって特別な存在、あるいは自分だけはその女性の娼婦でない一面を見いだしている、といういかにも男性的な自分勝手な幻想を抱いている男が主人公の小説である。

『原色の街』にしても『驟雨』にしても、その街に本当は相応しくないが、なんらかの理由でそこに居ざるをえなくなった、そこはかとない上品さを漂わせている女性、というのがヒロインです。そもそもこの設定がいかにも男性本位な考え方であると思う。

しかし、吉行小説のサラリーマンの描き方というのは、本質を突いている部分もあると思われます。仕事に一生懸命打ち込む、つまりは「男子一生の仕事」というような大きな物語に巡り会うことが出来た人は幸福ですが、ここに出てくる彼らは、仕事はあくまで仕事であって生活のためのものに過ぎず、散文的で平凡な生活に時間を浪費する人生。だからこそ生きた時間を味わおうと赤線地帯に足を踏み入れるような感じ。50年代戦後日本においてすでに始まって今も続いている、サラリーマン人生。

私見によれば、『驟雨』のほうが、より技巧的な筋でなくて好みですが、全般的に吉行淳之介は無理矢理物語を作っている感じが否めない。こういう雰囲気を作りたいからこういう展開にする、というような。初期の『薔薇販売人』も収録されていますが、この小説がまさにその良い例で、どこか作者はいい気になって登場人物それぞれの心理を解剖しているよう気がして、凄く嫌味に感じられます。そして吉行淳之介の特徴とはまさにこの「嫌味」にあります。それをして、上野千鶴子さんなどはミソジニーと呼ぶのではないでしょうか。

『漂う部屋』、『夏の休暇』のほうがもっと小説作品として完成度が高いと思います。なぜなら「嫌味」が少ない。

いまとなっては新潮社から数冊出ていた吉行淳之介の小説も、読まれなくなったため絶版になっているようです。この倦怠感に包まれた装丁は彼の作品とぴったりですね。

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