堀辰雄『風立ちぬ』再読。センチメンタリスト堀辰雄。

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一時期、堀辰雄特有の淡い感傷にどっぷりはまってしまったことがある。

『聖家族』、『風立ちぬ』、『菜穂子』。力がうまく抜けた文体。しかし洒脱とはまた違う。どこまでも淡く、ぼんやりとした幸福、不幸を捉えようと森を散策するような文体。重苦しい思想を追いかけるようなことは決してない。

例えばセリーヌなんかを読んでいると、堀辰雄がいい息抜きになる。あの呪詛で充ち満ちた、欺瞞を徹底的に暴かんという、苛烈を極める文体と比較すると、堀辰雄の文章は物足りなさすらある。『風立ちぬ』の出だしなんて、読んでいてバカバカしくなるような、昔の少女趣味のような恋愛が描写され、ひ弱さが顕わになる。外国の、スケールの大きい小説を読むと、堀辰雄のそれがいかにセンチメンタルで、なよなよしているかがよくわかる。

堀辰雄のどの小説も軽井沢や八ヶ岳付近をうろうろしている。それは彼の実生活の経験が大きいのだろう。彼の生涯、逆にこれらの土地を出ることが出来なかった。そここそが彼の宇宙。

久しぶりに読み始めると、始めはアホらしいと読んでいたけれど、途中から純度の高さに魅せられていく、独特の魅力があるのは確か。純度に対する執念すら感じる。微熱が続くような、その後の快復期のような物憂い感覚が続くかのような、この物語と文体はやっぱり特異なものだと考えます。

また、展開に小気味良い工夫もある。この点、彼はやっぱり小説家。フィクションの創作者なんだろうと強く認識しました。

稀代のセンチメンタリスト堀辰雄。感傷的な気分に浸りたい時にどうぞ。

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