『恐怖分子』(1986)エドワード・ヤン、それぞれの断片的物語が交差する時

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長年、見たくて見られなかった台湾映画の最高到達点。

台湾と言えば、まずホウシャオシェン監督を思い出すでしょう。その彼と一緒に、いわゆる台湾ニューシネマを牽引したもう一人の監督がエドワード・ヤン(楊德昌)。こちらのほうが知名度が低いです。長編わずかに7本という寡作の監督。なかなか見る機会に恵まれませんでした。

『恐怖分子』は噂に違わぬ傑作。物理的な恐怖を見せるのではなく、心理的な恐怖、不安、孤独を巧みに描いて見せる。本来、交わることのない都市の人々が、他愛のないいたずら電話をきっかけに交差し、崩壊していく。台湾は日本に親しいところが非常に多いし、80年代後半の作品とは思えぬアクチュアリティです。

私見によれば、この時すでに、都市に棲む人々の孤独、不安は今と同じように醸成されていて、それぞれの生活(物語)は原則、交わらない。様々な人々が自分自身の物語を生きているだけ。そんな島宇宙的な物語を横断していくのは、職業・趣味の性質上、カメラ小僧である青年。各々の物語の目撃者であろうとする彼。彼だけが、個々の物語の邂逅に危険を察知するが、すでに一つの大きな物語になった「流れ」は破滅へ向かって突き進む——

あの有名な少女の顔を断片化した大きな写真は物語を象徴的に表しています。それらは一枚の写真としてはなんの写真か分かりませんが、集めると一つの作品として出来上がる。誰もが、誰かの恐怖分子となり得る。知らず知らずのうちに、誰かを転落させる。傷つける。殺す。

新宿K’s cinemaでしばらく上映されるようですので、ご興味がありましたらぜひ。

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