アキ・カウリスマキ『マッチ工場の少女』1990

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フィンランド映画と言えばアキ・カウリスマキ。フィンランドの巨匠です。本作は20年以上前の映画ですが、もちろん現在に通ずるものがあります。

工場労働=労働の中でも低階層。単純作業の反復。日々、代わり映えのない生活。家に帰れば、自分のことを全く理解してくれない親がいる。誕生日プレゼントに欲しくもない『海賊物語』の本をくれる。

現在の日本でも、恋人が欲しくない、という人が多いようですが、その一因として、わたしは所得の少ない人が多いからであると考えています。あの葡萄はすっぱい的な論理で、日本人は特に、自分の手に入らないものを貶す傾向があります。それはもっぱら自分の世界を守るためです。

事実、わたしの知る、とある職場では、所得が少ないことと、結婚している人が少ないことは明らかに比例しています。ピケティを持ち出すまでもありません。所得が少なければ、人間よりはお金のかからないゲームに興じればよい。しかし、今はそれで良くても50歳になったとき、そうはいかない。

ふと思い出しましたが、『資本論』でも問題は、労働は、監督者と作業従事者に分かれてしまうことで、その結果必然的に立場の優劣が生じてしまうことでした。

閑話休題。

本作で、ヒロインの抑圧された想いは、ある日大きな反動を迎えます。その結果、思わぬ妊娠を招き、行為を保証するはずの意志はそこになかったことに気がつかされ、結局彼女のラブロマンスは踏みにじられてしまう。だから彼女も同じように、踏みにじろうとする。当然の帰結。

わたしの好きなタイプの映画で、台詞に頼らず、映像と音楽と仕草で見せてくれます。映画はやっぱりこうでなきゃダメですね。おもしろい映画でした。

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