安部公房『密会』。弱者への愛にはいつも殺意がこめられている。

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3回か4回目。この本を読んだのは。

前に、とあるラジオ番組で、「あなたが学生の頃、国語の教科書に載っている作品で一番記憶に残っているものは?」という質問を聞いた。私ならば迷わずこう答える。「安部公房の『赤い繭』」と。中学生の頃はほとんど本を読まなかった。それが『赤い繭』に出会ってから変わった。まず安部公房作品を片っ端から耽読し、次ぎに太宰を全部読んだ。

『密会』は一言で言うと聴覚。聴覚で刺激されるエロスです。前作『箱男』が視覚、覗きとすれば、『密会』は盗み聞き。発情期を失った人間という存在が、年中発情し、しかもそれに囚われているという話。

舞台は「病院」。患者であることが正常である逆説的な世界。適者生存の論理に逆らい、人間だけが病いに罹った人を様々な方法で治そうと試みる。病人は、病に罹った時点で、一旦人生という競争レースから外れて周回遅れ。「弱者」にならざるを得ない。

性の問題から生の問題へ。「患者」とはどういう存在なのか。ラストシーンは非常に痛切。溶けて形の変わった少女を抱きしめながら、盗聴器にむかって「申し分のない患者」になると叫び続けるところで途切れる。

人間はある意味、皆患者で、社会全体は病院的と言うことは出来ると思う。「世間」は無理矢理「病人」=「弱者」をつくりだそうとやっきになり、ひとたび「弱者」を見つけ出すと徹底的に叩く。それは必死に気に掛ける、歪んだ愛、隣り合わせの殺意。

「病院」という場所がどういう場所か。今の仕事に就く前は全くそれを理解していなかった。ただし私は医者でも看護師でもない。オペにも毎月何度か立ち会うと、死生観が大きく変わってしまう。

病気は人を選ばない。誰でもなる。なってしまう。特別なことではない。病と人は隣同士。それが凄く怖い。

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